帯広教会
| 4月20日 聖日礼拝 「神の摂理と人間の責任」 |
人間始祖のアダムとエバが堕落して、その子カインが弟アベルを殺害することにより、人類歴史は闘争の歴史となりました。神様のみ旨とはそのように堕落した人類を救済する為の、神様の救いの計画、プログラムの完成のことを言います。神様は絶対者であられるので、神様のみ旨は絶対的ですが、み旨成就に対する神様の予定は相対的です。その理由は、神様のみ旨が成就するか否かは、神様の責任分担と人間の責任分担が完遂されてなされるからです。たとえば2000年前のイエス様の時においては、洗礼ヨハネはイエス様の第1弟子として予定されていましたが、イエス様を最終的には不信することにより責任分担を果すことができなかった為、その代わり漁師のペテロが第1弟子となりました。ですから神様は中心人物が失敗すれば、他に人物を立ててでも最後までみ旨を摂理されます。 私達も神様によって招命をうけた一人一人です。今天が必要な時と場所にいて、また様々な招命を受けるにふさわしい条件があって招命を受けました。人間の責任分担の失敗は、神様の願い(摂理)が分からないこと、天の願いを知らされても、その通りに行動できなかったことが原因です。私の責任分担を果すために、私は神様の子である、親なる神様が私を愛しておられることを確信して、救いを信じ、喜んで天の願いを実践する者となりましょう。 |